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EXILE12 EXILE13 EXILE番外編 その30
 鈍い炸裂音が響き渡った。激しく燃える光のかたまりがまばゆい白煙とけたたましい風切り音を引いて森を駆け抜ける。
 奇怪に歪んだ樹木の影が放射状に引き延ばされ踊り狂う。いつまでも消えぬ灼熱のまばゆさに魔物がひるんだ。
「片づけろ」
 たちどころにアンドレーエのするどい指示が飛ぶ。《イーサ》の迷彩に身を包んだ第二師団所属の猟兵が四方八方へと散った。闇の奥で暗緑の燐光がするどい軌跡を描いて飛び交う。魔物の吠え声がこだました。
「発射成功」
 漆黒のゴーグルを掛けたユーゴが硝煙ただよう手筒の砲口を振り上げてつぶやく。
「残りあと五発です」
「その後ろ向きな数え方はやめろって。辛気臭えんだよ」
 アンドレーエは苦笑すると分厚い手袋をはめた手を振り上げた。
「騎兵、前へ。一匹たりとも討ち洩らすな」
 生き残りの騎兵やヴァンスリヒト隊の残党が部隊の前方で剣を振るい始めた。光に追われ、猟兵に狩り立てられた魔物を掃討し、退路を切り開いてゆく。
「いいか、どうせならこう言えってんだ、『すばらしいことに残り五発もあります!』」
「確かに無理やり現実から逃避するのもやぶさかではないですがね」
「ふん、前向きな視野を持ってどこが悪い」
「前を見る前にどうぞまず現実を見てください」
「残念だな、俺は自分に都合の悪い事柄からは徹底して眼をそらす主義なんだよ」
 アンドレーエは苦笑いした。ユーゴも口ではさんざん難癖をつけつつもその表情はいつもと全く変わっていない。
「さてと」
 軽口ばかりを叩いてはいられなかった。
「行くぞ。歩けるか」
 アンドレーエは皆に励ましの声を掛けながら歩き回った。いつの間にか部隊は負傷者で膨れあがっている。総退却について行けず道中に遺棄された者、魔の襲撃で本隊からはぐれ、あるいは取り残されて逆に辛くも生き延びた者、輜重軍夫など兵站部隊を含むおびただしい数の敗残兵がアンドレーエの指示を聞いてよろめき立ち上がる。
「もう少しだ。あと少しで本隊に追いつくからな。それまで頑張れ」
 退却と言うにはあまりにも悲惨な様相だった。雨下の行軍に疲れ果てながらも互いに支え合い、励ましあい、足を引きずってのろのろと動き始める。
 アンドレーエはその様子を苦渋の面持ちで見渡した。口元を苦々しくひん曲げる。
 南下するにつれ明らかに魔の濃度が高くなっている。おそらくこの先、リーラ河流域周辺こそが最も危険な戦闘地域と化しているに違いない。
 不毛な焦燥感が滲み出てくる。
 できるなら先行するシャーリアの本隊に追いついて合流したかったが、これだけの傷痍兵を抱えてしまってはもう通常速度の行軍すらままならなかった。かといって彼らを捨て置けば死の運命あるのみだ。今はどれほど憂鬱でもノーラスからの救援を信じて前へ進む他に道はない。
 どこか遠くから壊れ果てた遠吠えが聞こえた。アンドレーエは顔を上げた。
 頭上にのしかかる重苦しい闇にうすぼんやりと青白く躙り燃える炎が見えた。雨煙にかすむ針葉樹の梢や枝先に無数の冷光が宿っている。
 雷鳴が轟き渡った。湿った空が総毛立つ電荷を帯びて光る。大地が底ごもる震動を伝えた。ぞくりと身体の底が震える。誰かがおびえたうめき声を上げた。
「びくついてんじゃねえよ。大丈夫だ」
 たちまち動揺が広がり始める。ただでさえ浮き足立つ兵をこれ以上不安に陥れることはできない。アンドレーエは平然と笑い飛ばした。
「あれは雷につきものの――」
 ふいに、炎が死を告げる青黒い姿影にすり替わった。
 不吉な翼がゆらり、と広がる。
 次の瞬間、影は突風を巻き起こす迅雷と化して樹海の闇をかいくぐり消え失せた。邪悪な嗤いの入り交じった轟音が響き渡る。
 アンドレーエは息を呑んだ。
 影の吸い込まれた闇から魔の叫喚があがった。引きちぎられたおぞましい叫びが右へ左へと連鎖的に伝わり、膨れあがって炸裂してゆく。
 魔の鳴動が突き上げる。
 ユーゴが山刀を手に息せき切って駆け寄って来た。
「師団長っ」
 汚濁の臭いがごうっと渦巻いて吹き付けた。森の樹木が激しい葉ずれと水しぶきを上げながら揺れ動いたかと思うと悲鳴にも似た轢音をたてて根こそぎねじ切られなぎ倒される。生木のぞっとする色が浮き彫りになった。
 慟哭にも似た嗤い声がつんざいた。
 その度に無数の絶叫が散らばる。
「あれは」
 ユーゴに後方へと引き戻されてゆきながらアンドレーエは呆然と眼を押し開いた。
 響き渡る魔の絶叫はもはや不協和音の聴域すら越えて正常に聞き分けることもできなかった。狂乱の波動が心を鷲掴んで振り回す。死の叫びだった。ユーゴが腕にしがみついて何かを怒鳴っている。だがそれすらも聞き取れない。
 《静寂のイーサ》が魔のどよめきに拮抗して苛烈な光を放った。
 雨が狂気をかき消してゆく。
 アンドレーエは強烈な自制心でもって意志を取り戻した。兵が悲鳴を上げては逃げまどっている。
「ユーゴ」
 がらがらにかすれた声で怒鳴る。
「ここはいい。後ろの連中を落ち着かせろ。あれは敵じゃないと言え」
 恐怖に顔をこわばらせたユーゴがようやく我に返ってかぶりを振った。
「しかし」
 蒼白なうめき声を絞り出す。
「あれは、サリスヴァールだ。いいから早く行け」
 アンドレーエは立ちすくんだままのユーゴを粗略に押しやった。
 油断した自分が腹立たしかった。分かっている。敵地に取り残されろくに動けずにいることが歯痒かった。守るべき仲間に内心いらだちを覚えていた。足手まといだとさえ感じていた。功を焦ったあまり上っ面の掃討処理で満足し、奥に今までを遙かに凌駕する数の魔が潜んでいたことに気付けなかった。その驕傲と慢心の気持ちが相まってこの手落ちへと至ったに違いない。もしあのまま気付かず闇雲に突進し続けていたらどうなっていたか。それは火を見るより明らかだった。
「奴が魔物どもを引きつけている隙に突破する」
 ユーゴは愕然と振り返った。喉元にまで引き下げていたゴーグルをかろうじて掴む。
「師団長、それは」
「黙れ」
 アンドレーエは声を押し殺した。
「今の俺たちに何ができる。奴を盾にしてその間に何とかして前へ進むより他に、何が」
「しかし」
「うるせえ。黙ってろ。これは命令だ」
 アンドレーエは一瞬黙り込み、次いで無理やりに虐げた声をユーゴへと突き立てた。
「ほかにどうしろって言うんだ。こうでもしなけりゃ誰も助からねえ。もしそんなことになっちまったら何のために」
 アンドレーエは口走りかけた言葉を呑み込んだ。ユーゴが気圧された表情で立ちすくむ。
「分かったらとっとと行け」
 アンドレーエは感情を強引に押し殺した。
「こいつら全員を無事に国へと返してやるのが俺たちの役目だ。分かったか」
 枝の跳ねあがる音がした。水飛沫がばらばらと降り散る。嗤い声がそらぞらしく虚空に羽ばたいて遠ざかった。
 雨がねばつく魔の気配を洗い流す。
「あの野郎」
 アンドレーエは切迫の面持ちで周囲を見渡した。
 惑乱の思いがせめぎ寄ってくる。サリスヴァールの意図が分からない。自ら魔の眷属に堕してまで何がしたかったのか。単純に敵中突破を試みるのであれば何も魂を売らずとも良い。シャーリアだけを守って一点集中で撃破してゆけば済む。
 だが、その手段をサリスヴァールは選ばなかった。ただ切り抜けるだけでは無意味だと――
 嫌な憶測が脳裏をかすめる。度を超した召喚は諸刃の剣だ。無限に生み出される魔の連鎖を断ち切るのは例え召喚主であっても容易い事ではない。
 アンドレーエは血の気の失せたくちびるをきつく噛みしめた。通常の軍隊に魔を根絶する力はない。それはティセニア軍であろうがゾディアック軍であろうが同じことだ。このまま放置すれば周辺一帯が何人たりとも入り込めぬ虚の領域と化すのも時の問題だろう。不毛の地、暗黒の森、死の城砦。
 人が入り込めぬ地勢に要衝としての機能は皆無だ。確かに、魔の侵蝕によって第五師団はノーラスから撤収せざるを得なくなるだろうが、かと言ってそのような状態の城砦を征圧したとしても支配権の維持は物理的に不可能だ。よってゾディアック軍の目的はノーラスへの攻勢ではない。
 もしかすると――ゾディアックはティセニア国防戦略の形骸化自体を目標に据えてきたのではないか。難攻不落のノーラスに固執してきたティセニア軍の防衛大綱を根幹から揺すぶれば、その体制混乱に乗じて膠着する戦線の均衡を一気に崩すことができる。
 それなら分かる。確かにゾディアック側の意図としては間違いなく推測可能な範囲であるのだが。
 ふいに視界が暗転したように思った。たとえノーラスが戦略地図から消えても、ノーラスを取り巻く情勢は変わらない。ノーラス防衛がアーテュラスの死命であるかぎり、かの城砦を放棄することも魔に屈することも許されはしないのだ。
(穢された血はそうやすやすと浄められるものではありませんよ)
 以前、ツアゼルホーヘンでクリスティアンがふと洩らした残酷な評価をアンドレーエは雷鳴のごとくに思い出していた。
(籠の中の哀れな小鳥。火線に晒され、闇に狙われ、あたら命奪われる時を待つぐらいならば、いっそ)
 闇をもって闇を禊ぎ、異端たる堕罪の血を流してこそ光として肯われる。たとえ今を生き長らえたとしても同じこと。何度でも、何度でも、おそらくは自ら散華を選び取る他なくなる時まで魔の討伐へ投入され続けることになる。
 魔を滅するかりそめの英雄として。偽りの光、祭り上げられた傀儡の救世主として。
 教えに殉ずることによってのみいわれ無き罪穢は贖われる。
 それこそが――

「だあああ!」
 アンドレーエは湧き上がる疑心暗鬼を総毛立つ面持ちでぶるぶると振り落とした。濡れた髪をがむしゃらに掻き回す。
「くそっ、何考えてんだ俺! あいつらに限ってそんなことあるわけがねえし! とにかく進めばいいんだよ。こんなところでうだうだして何になるってんだ!」
「師団長」
 雨にかすむ白い吐息を吐き散らしつつユーゴが駆け戻ってきた。
「前進できます」
「分かった」
 アンドレーエは打ちのめされた眼差しを伝い走らせた。ねぎらいの言葉を掛ける余力もない。
「突破する。先導に出ろ、ユーゴ。この先はさらに危険だ」
「了解」
「何が何でもこの場を切り抜けてやる」
 声がざらついた。手負いじみたぎらつきの眼を闇へと走らせる。
「ユーゴ、俺は死なねえぞ。お前もだ。誓えよ。むざむざ殺されたり死んだりするんじゃねえ。こいつらも、ほかの連中も、全員だ」
「はい」
 ユーゴもまた決死の表情でうなずく。アンドレーエは歩き出した。
「あいつらに伝えてやらなきゃならねえ」
 絶望にも似た予兆が迫り来るのを必死に振り払い、暗鬱の森を振り仰ぐ。
 樹木の枝先に宿っていた青い道標の炎はもう、跡形もなく消え失せていた。

「このままでは埒があかぬ」
 銀の結界が砕け散った瞬間、阿鼻叫喚の濁流が襲いかかってきた。ガラスをたたき割ったかのような悲鳴の残響があがる。とっさにはすべてをかばいきれず、エッシェンバッハは盾で襲い来る魔を殴りつけ、ドミノ倒しに吹き飛ばした。盾の聖結界に触れた魔が一瞬にして蒸発し、熔け消える。
「うえええもう無理だってば……!」
 狂える絶叫が伸び上がってなだれかかった。ニコルは半泣きになりながらとっさに身をよじらせた。《封殺のナウシズ》を魔にかざす。ほとばしる光が真一文字に魔を薙ぎ払った。一瞬遅れて魔がその形を崩し、黒い光粒をしぶかせながら蒸発し去る。
「って、うわあ!」
 にじり寄る敵にばかり気を取られ、つい足下をおろそかにしてよろめいたニコルの背後に、ふいに凶悪な影が迫った。
「アーテュラス、後ろ!」
 シャーリアの凛烈な叫びが突き立つ。
 エッシェンバッハが飛び込んできた。頭蓋から魔の骸を真っ二つに断ち割って捨てる。穢らわしく降りしきる魔漿の飛沫が奔りついた。どろり、と垂れ落ちる。
「油断するな」
 ぬめるサーベルを冷徹にふるいながらエッシェンバッハが戒める。
「す、すみません」
 次から次へと迫ってくる魔物が刃にかけられては地響きをあげてなぎ倒され、森の下生えを抉り飛ばしてざんばらにもんどり打つ。煤煙が吹き流れた。
「わたくしも戦うわ」
 思いもよらぬ声が聞こえた。シャーリアが傷ついた足を引きずりながら歩み出てくる。
「お前たちの後にばかり隠れているわけにはゆかなくてよ」
 きらびやかな儀礼刀を抜き払う。
「で、殿下」
 ニコルはぎょっとして声を呑み込んだ。
「だ、だ、だめですって危ないから後ろに下がっててくだげほげほげほ!」
 ニコルはあわててシャーリアを押し戻そうとし、突然こみ上げてきた喉の痛みに声を嗄らして咳き込んだ。左腕にはめた《ナウシズ》が緊迫の氷彩を放ってするどくきらめく。
 息をする度に喉がちぎれそうだった。
「な、何か急に、めちゃくちゃ増えてきた気が……」
 腕を振り上げ、封殺の光を解き放つ。氷の閃きが悲鳴のように四方八方へと突き立った。
 また心臓がぎりぎりと絞り上げられるように痛んだ。何かが失われている。みるみる剥がれ落ちてゆくような気がした。何かが。
「結界を張る」
 エッシェンバッハは《庇護のアルギス》を嵌め込んだ銀の盾を持ち上げた。
「アーテュラス、気を抜くな」
「は、はい」
 《ナウシズ》のきらめきに打たれた魔物がみるみる怖じて下がってゆく。その一瞬の隙をついてエッシェンバッハは再びルーンの強大な結界を部隊全体へと行き届かせた。
 凄まじいまでの狂騒がわずかに遠ざかる。
「これも長くは持たん」
 銀虹色にかがやく幾何学形の結界を幾重にも張り巡らせた庇護を見上げながらエッシェンバッハがつぶやいた。
「だが一時の慰めにはなる」
「何を仰います。間違いなく僕らは前に進んでますよ!」
 ニコルは肩でよわよわしい息をつきながらも何とか笑って言った。
「それにもう少しです。もう少しで陣地にたどり着ける。この状態で進めば」
「そうだな」
 エッシェンバッハはシャーリアを振り返った。
「公女、皆に号令しろ」
「わたくしが?」
 シャーリアは自虐の微笑みを浮かべた。
「……今さら誰もわたくしの命令など聞いてくれるとは思えないけれど」
「大丈夫ですって」
 ニコルは左腕を押さえた。なぜかひどく腕全体が萎えて動かなかった。かじかんだように痺れて、全くと言っていいほど力が入らない。
「とっ、とにかくノーラスへ戻りさえすれば何とかなるはずです」
「戻れさえすればな」
 エッシェンバッハは名状しがたい面持ちを隠してふいと眼をそらした。
「確かにその通りだ」
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