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EXILE12 EXILE13 EXILE番外編 その38
「勝手に決めるな」
 イェレミアスは顔を紅潮させ、ずかずかとニコルへと歩み寄った。
「誰が何と言おうと絶対に処刑だ」
 元帥杖を無闇に振り上げ、打ちのめそうとする。
「《ナウシズ》さえなければノーラスなど!」
 ニコルは息を呑んだ。逃げる間もない。
 と、レディ・ブランウェンの腕にわだかまっていた黒い影がふいに宙へと舞い上がった。呼応して銀の悪魔が甲高く啼き、鉄の翼を激しくはばたかせる。
 黒い影が目にも止まらぬ速度で突っ込んできた。イェレミアスの眼前を凄まじい風切り音を上げてかすめ、あわや地面に衝突するかと思えた瞬間、泥を散らしてニコルの足下に落ちた《ラグナレク》を奪い、急角度で上昇して再び闇の彼方へと消え失せる。
 イェレミアスは思わず怯み、身を仰け反らせた。《悪魔の紋章》を刻んだ元帥杖を引き、気色ばんでレディ・ブランウェンを睨み返す。
「貴様、何のつもりだ」
「いちいち人のせいにしないで」
 レディ・ブランウェンはうんざりとした溜息をついた。腕を振って後方の部下に合図する。
「他の連中を武装解除して。しばらく魔物にでも囲ませておけばいいわ。アーテュラス、貴方もよ」
 黒衣の女兵が四方に散った。動揺するティセニア兵から銃やサーベルを奪い、山のように川岸へと積み上げる。
「僕は」
 ニコルはうつろにつぶやいた。
「何も持ってない」
「あらそう。なら良いわ」
「毒婦ごときがこの私に命令するな」
 イェレミアスが再び怒鳴り散らした。
「貴様などガレイラの後ろ盾がなければ」
「滅多なことを口にするものじゃなくてよ、イェレミアス」
 レディ・ブランウェンはグラスの中の優美な毒を揺らすかのように微笑んだ。
「いつ、どこで、何を”口にするか”分からないでしょ……?」
「売女が!」
「うるさいわね屑の分際で」
 レディ・ブランウェンは聞くに堪えない罵倒の羅列を吐き捨てた。
「この子を囮にせずして何を囮にするというの。あの忌々しいホーラダインを押さえられるのはこの子だけだわ」
「言わせておけばぬけぬけと!」
「それぐらい卑怯な手を使わない限り貴方にノーラスは陥とせないんじゃなくて? それとも、今度こそ自慢の勲章をごっそり剥奪されるような不細工な真似をしでかす気?」
「黙れ黙れ黙れ!」
 イェレミアスは歯ぎしりして吠えた。
「そいつを第一級戦犯として処刑するだけで十分勲章ものだ! いや待て分かった、さては貴様この私から戦功をかすめ取ろうと言う魂胆だな。こそ泥女が、そうはさせるものか! こやつは私の獲物だ!」
「悪いけど、その子の捕虜としての価値とあんたごときが喉から手が出るほど欲しがってる武勲とやらを比べても無駄よ。天と地ほどの差があるんだから」
 レディ・ブランウェンは腰の帯からすっと細い刀子を引き抜いた。ニコルへと近づいてくる。
「自決用の銃、毒、《カード》、ナイフがあれば出して。良い子にしていなさい。逆らったら殺すわよ」
「”異端”扱いの人間にそんな価値があるわけないだろ」
 ニコルはレディ・ブランウェンを見上げた。するどい眼が見返してくる。《先制のエフワズ》はもう反応すらしなかった。
「両手を上げて頭の後ろで組みなさい」
 簡単な所持品検査のために後ろ向きにさせられる。
 他のティセニア兵もまた同様だった。武装解除され一箇所にまとめられて厳重に見張られてはいるが、たちまち危害を加えられるような様子はない。
 ニコルはためいきをついた。
「何に期待してるのか分からないけど」
 自嘲気味にかぶりを振る。
「取引は成立しないよ」
「意外に頑張るじゃない、坊や」
 レディ・ブランウェンはつめたい刀子をつとニコルの首筋へと這わせた。
「まるで女の子みたいな顔をしてるくせに」
 耳の後ろへ突きつけられた刃先がちくりと食い込む。するどい痛みにニコルは顔をゆがめた。
「こっち向いて。手は動かさないでね。誰か捕虜用の拘束衣を持ってきて」
 レディ・ブランウェンは返す刀の先で軍衣の襟をぶつりと切り飛ばした。ニコルははっと我に返った。反射的に身を引く。
「ま、待って」
「逆らったら殺すと言ったはずよ」
 ぞっとする含み笑いが吹き入れられる。
 思わずのけぞろうとするのも構わずレディ・ブランウェンは刀子を軍衣の胸元へ入れ、上から下まで容赦なく切り裂いた。
 金釦がばらばらと地面に飛び散る。サッシュが裂け、身頃が無惨にはだけられた。
 下に着た白いブラウスがたちまち雨に濡れそぼって透けてゆく。
「え」
 レディ・ブランウェンは愕然として眼を見開いた。
「貴方……?」
 ニコルはとっさにレディ・ブランウェンの手を振りほどいた。
「は、放して。逃げないから」
 必死に胸元をかき合わせる。
「おねがい」
「どけ!」
 唐突にイェレミアスが近づいてきた。獰猛な形相で手を振り上げるなりレディ・ブランウェンを押し退け、半分に切り裂かれた軍衣の襟首を鷲掴んで一気に引きちぎる。ニコルは悲鳴を上げた。泥まみれの地面へともんどり打って叩きつけられる。
 笑い声がのしかかった。
 下卑た手が濡れたブラウスの襟元にかかる。
 ニコルは身をよじって抗った。薄汚い手を払いのけようと必死に掴みかかる。
「さ、さわるな……」
 視界が涙でかすんだ。それでも抗いの手を突っ張らせる。イェレミアスは笑った。興奮しきった息が吐き散らされる。
「正体を見せろ」
「や、やめて」
 ブラウスが甲高い音を立てて破り取られる。
「嫌……!」
 跳ね上がった泥が降りかかった。白い肌が点々と泥に汚されてゆく。
「何だこれは」
 侮蔑と嘲弄が浴びせかけられる。
「見ろ、この貧相な身体。どうしたことだ!」
「放せ!」
 愚弄混じりの言い草にニコルはふいに歯を食いしばるなり腕を振り上げた。イェレミアスの顔めがけて拳を叩きつける。
 イェレミアスはその腕を掴んで骨をも折れよとばかりにねじり上げた。
 たまらず悲鳴を上げ、必死に暴れる。
「おとなしくしろ」
 イェレミアスは発作的な激情もあらわにニコルを殴りつけた。一瞬、無抵抗になったところを胸を鷲掴みにし、巻いていた胸布を引きちぎり、何もかも剥ぎ取ろうとする。
「何してるの」
 あまりのことにレディ・ブランウェンが叫んで駆け寄ってきた。ブーツの先でイェレミアスを思い切り蹴り上げて怒鳴りつける。
「恥を知りなさい。この、けだもの!」
 そのとき、場にそぐわぬけたたましい嗤い声が響き渡った。
(あーあ、ついにバレちゃったんだ)
 ふざけた声にレディ・ブランウェンは愕然と上空を見上げた。青い光の軌跡をひいた黒い影がぐるぐると宙をよじれ飛んでいる。
「どういうことなの、これは」
(さあね)
 降りしきる雨をほのかに弾き飛ばしつつ、悪魔は狂ったように笑い転げている。レディ・ブランウェンは柳眉を陰険に吊り上げた。
「まさか、おまえ、最初から」
(んん? 知らないねえ。何のことだか)
「貴様……!」
 イェレミアスは血の滲んだ鼻を押さえて立ち上がった。凄まじい憎悪の眼で悪魔の堕とす影を睨み付ける。
 ただひたすらにケラケラと軽く、喜悦に身を任せる声ばかりが素っ頓狂に響き渡った。
(そんなに知りたけりゃサリスヴァールにでも聞いてみたらどうだ?)
 暗黒のざわめきが、ぞくりとする静謐を秘めて吹きすぎる。
(その女の本当の名前をさ)
 影がふいに舞い降りてきた。ぴたりと中空に静止する。
 見覚えのある姿かたちだった。青く光る《悪魔の紋章》を腹に宿し、先ほど奪った《ラグナレク》に尻尾を巻き付けてひらひらとぶら下げている。
「ル・フェ」
 ニコルは起きあがれぬままに肩を押さえ、ひどく破かれたブラウスと泥まみれになった肌、血の滲む傷をかろうじて隠しながら手を突いて後ずさった。
 唖然として悪魔の姿を見上げる。
「何で、君が、ここに」
(はて)
 ル・フェはくつくつと寒々しく笑った。
(どうしてだろうね)
 豪雨がすべてを塗り込めてゆく。
(あのとき……アルトゥシーで言っただろ? 何で彼を信じるのか、と)
 黒い小さな膜翼がゆらりと闇を差す。
「……嘘」
 ニコルはたじろいでかぶりを振った。
(彼の真の目的も告げたはずだ)
 冷ややかに醒めた声が告げる。
「待ってよ」
 ニコルはかすれた泣き笑いを浮かべた。

 迫る火と煙の記憶。

「……冗談はやめてよ……何言ってるんだよ……」 
(最初から、そういう筋書きだったと)

 鮮烈によみがえる血の色。

(《ナウシズ》の守護たる君、魔召喚の妨げとなる君を――帝国へ連れて行く、とね! なのに君ったら)
 嬉々とした狂躁の笑いが耳をつらぬいてゆく。
(ああ、何て相変わらずのお人好し馬鹿なんだろう! そう言えば思い出したよ。あの頼りない公子に取り憑いたとき、彼の記憶にも君の姿が残ってた――もしかしたら女かもしれないって――でもあの鉄仮面男に気付かれるのが怖くて確かめられなかった、って! 誰だってまさかと思うよねえ……本当にびっくりだよ、これを青天の霹靂、驚天動地と言わずしてなんと言おう! まさか、君が、あの――偽りの闇に隠されたルーンの聖女”本人”だったとはねえ!)
 壊れた笑いが反響する。その声がどこまでも耳障りに跳ね返り、伝わって。

「聖女……」

 チェシーは闇の中から愕然とニコルを見つめていた。
 うつろに頭を振る。
「馬鹿な」
 濡れそぼった髪から雨がしたたり落ちた。それすら気付く様子はない。
「そんなことが」
 あるわけがない、何かの間違いだ、と言おうとして。
 痩け落ちた表情で己の手を見下ろす。死と、闇と、裏切りの汚辱にまみれた手。
 その手で。
 何を――

(ニコルさんが異端の誹りを背負うからこそ”ニコラ”はうたかたの夢として生きてゆける。たとえその名で二度と日の当たる場所に出ることが叶わなくとも)
(その名は、禁忌だ)
(チェシーさん)
 記憶の中の声が悲痛に繰り返される。
 千の鏡に映し出されたおぼろげな虚像、うたかたの記憶に宿る少女の面影が幾重にも淡い波紋を広げ、互いに干渉しあって、やがて秘められた真の姿を浮かび上がらせてゆく。
 おろおろと、なぜか常に怯えたような仕草で目を伏せ、真っ赤な顔をして必死にかぶりを振っていた薔薇の瞳の少女と。
 やることなすこと素っ頓狂でおっちょこちょい、馬鹿がつくほどお人好しなぐりぐりメガネの少年と。
 今の、ぼろぼろに傷ついたニコルの――女であることを無惨にも曝かれた姿が、あり得ないほどに痛々しく、狂おしく、重なり合って。
「レイディ」
 チェシーは呻いた。取り返しの付かぬ過ちに自嘲の笑いが噴きこぼれる。悪魔に魂をくれてやったその時から、知っていたはずだったのに。
「……レイディ」
 深淵が見える。豪雨がすべてをかき消していった。


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